湘南第一病院人として
我が国の労働人口と非労働人口の比率が刻一刻と変化し、国の年金制度も以前より比較的安定性を失っています。超高齢社会を迎えて、高齢の患者さん本人が身体の苦痛を感じているのは勿論、支える家族や地域も以前よりも不安を抱えていると思います。現状では今後就労する予定の子供達も、不安な未来を生きていく可能性が高いです。誠意のある適切な医療をチームで行うことにより、患者さん本人、家族、地域の人々、加えて医療従事者等の不安や苦痛を相互ケアしていきたいです。
最終的な結果として、世代、場所、立場を問わず、すべての人が、安全で質の高い医療を、簡易的に受けられる医療システムを地域全体で構築し、高齢の患者さんを支える方々の負担も軽減し、これからの人達にとっても明るい未来をまずはこのエリアで築きたいです。
個人のビジョン
僕が生まれた20世紀の後半(1980年)は、既に物や環境が満たされていて、豊かな時代が確立されていました。戦後の復興、オイルショック、高度経済成長期等を経て・・・。
1945年、僕たちの国は大変な状態でした。戦後の焼け野原から、国民総意での復興が始まりました。空腹を満たす余力はなく、生きるために最低限必要な食事を摂取するのも困難で、精神的にも、肉体的にも極限な状態だったと思います。先人達が踏ん張ってくれたおかげでこの国は豊かになり、今日ではGDPも大国と競合し上位を維持しています。
個人として、僕は人生の先輩達のおかげで、教育を受けることができ、医師免許を取得し、憧れだった心臓血管外科医になることもできました。恵まれた環境で日々修練し、先天的な複雑心奇形の患者さんに行う高難度の手術から、命の連鎖とも考えられる心臓移植まで経験することもできました。かけがえのない感動を日々心に刻み、医師になってからの大半は急性期病院で過ごしました。
心臓血管外科という先進的な医療部門で勤務する傍ら、縁あって湘南第一病院に非常勤として勤務することになりました。そこで高度経済成長期を支えてくださった、人生の先輩達と、医師−患者−家族の関係で、再度巡り逢うことになりました。少年時代に垣間見た、諸先輩方の背中を遠い記憶の中で覚えております。近所の自転車屋さんでタイヤのパンクを直してくれた先輩、駄菓子屋さんでアイスキャンディーをおまけしてくれた先輩・・・。あの頃僕達を助けてくれた彼等が、日々病院に受診してきます。中には最後の時を迎える方もいます。自分の人生を原点回帰すると、現状に対する切なさを感じ、何かしたい衝動に駆られました。
21世紀になり、かつてない状態を日本は迎えています。焼け野原だったこの国が、世界の大国と肩を並べて文化交流しています。この国の成長を支えてくださった方々が年齢を重ね、月日が経ち、日本は超高齢社会を迎えました。人口分布像も類を見ない状態へと変化しています。この原稿を書いている瞬間にも、諸先輩方々が自宅や施設等で、最後の時を迎えています。今こそそれぞれが自分の存在意義を再度認識し、行動する分岐点だと思います。
我々の国は、かつて想像を絶する状態から、他国の人々が予想しなかった急激な成長を遂げ、世界トップレベルの豊かな国になりました。今回も類を見ない状態から、地域が(延いてはすべての人々が)一丸となって、高齢の患者さんのみならず、すべての人が幸せだと感じられる新世界を築きたいです。